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  • 2017.02.20 Monday
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シャネルの愛したアール・デコ

 さてさて、南仏アール・デコの旅も終盤を迎え最後は南仏ニース、そしてパリの話題を。

ニースでは、旧市街に毎週月曜日に立つアンティーク・マーケットを訪れました。
以前母と冬のニースに滞在したとき、ここでピエール・カルダンデザインの柄がPになっている傘を購入しました。それをシャルル・ドゴール空港のブラッスリーに忘れてきたのは、今でも悔やまれます・・・。
アールデコの桜の柄の陶器のカフェセット、それから、イタリアのジノリの金彩色のカップはとても素敵でしたが、すでに荷物も多くて持ち帰れない恐れがあったので、今回は見合わせました。本当に手に入れたいものは、どんなことしても持ち帰るので、諦めても良かった品なのだと、なんとか納得。それにしても、売っている人はこのジノリが19世紀末から20世紀はじめのものだと豪語していたけど、本当かな?どうみても60年代にしか見えないんですけど。どなたかイタリアアンティークにくわしい方教えてください!!






ファッションの都パリでは、プレタポルテのショーが始まり、ファッション・ウイーク到来です。ここ数日の話題は、暴言を吐いて警察につかまったジョン・ガリアーノなきディオールのショーがどうなるか?ということでしたが、彼なしで予定通りショーは開催されました。
左岸のデパート、ボン・マルシェでもディオール展が開催されていて、ジョンのデザインがたくさん展示されていた。ああ、ディオールのジョン・ガリアノデザインもこれを見るのが最後と思ってか、すごく賑わっていました。実際に、自分でページをめくるように触ると、めくれる音と同時に画像が変わり、ディオールの歴史が映し出されるアナログ・デジタル本凝ってました。





サン・トノレ大通りには、パリの名所ともいえる、セレクトショップ「コレット」とシャネルのコラボの店「ココレット」がオープンしていました。
数々のブランドがシャネルをイメージしてデザインしたモードが、この「ココレット」で購入できるとあって、ファッション・ピープルで大混雑。
わたしはお友達に差し上げるシャネルのカメリアのついたカップケーキを購入しましたよ。







シャネルはアールデコの時代に生き、アールデコのシンプルでシャープなデザインを自宅にも持ち込んだ女性です。
この辺りのお話、23日の蜷川先生の映画のなかのインテリアクラス「シャネルとストラヴィンスキー」で聞けるの楽しみです〜。



■単発クラス■
<映画のなかのインテリア vol.7 シャネル&ストラヴィンスキー >
講師:蜷川浩史

昨年大ヒットした、シャネルを題材にした第三弾目にあたる映画「シャネルとストラヴィンスキー」は、1920年代に飛ぶ鳥を落とす勢いだったファッションデザイナー、シャネルとロシアバレーの前衛的な音楽を創作するストラヴィンスキーの才能のぶつかり合いと官能的な恋愛関係を描いた映画です。ラリック社が全面協力した、スタイリッシュなアールデコスタイルのインテリアを蜷川浩史氏が熱く語ります。 


■日時 4/23(土) 11時半〜14時
■会場 ジェオグラフィカ 3Fライブラリー
■定員 20名
■単発の受講料:4,000円 or チケット1枚
■お茶・お菓子付き
■どなたでも受講いただけます。

詳しいお申込手順はこちら
http://www.antiqueeducation.com/tejun.html

シャネル&ストラヴィンスキー
↑クリックすると大きな画像でごらんいただけます。


■お申込み・お問合せ
カルチャーサロン「プティ・セナクル」
http://www.antiqueeducation.com/







パリ、モンパルナス、アールデコ時代の画家たち vol.6

連載も6日目。では、そろそろ専門分野といきましょうか。

二つの戦争に挟まれたこの時代。わたしは、コレラが蔓延したことによって多くの人が死に至り、「人生、どうせ死んでしまうのなら楽しまなきゃ損損!」と人々がも一度「人生」を見直すようになった「ルネッサンス」時代とだぶります。1920年代は、まさに20世紀の「ルネッサンス」時代。
第一次世界大戦で戦場にでかけた男たちの代わりに、商店に立ち、事務所を守った女達は、自分で金銭を稼ぐ「自由」を満喫しめています。そんな彼女たちは、夜な夜な社交に明け暮れました。
時間を持て余すことも良家の子女やお金持ちの妻のステイタスであったベルエポックの時代は、時計を見ることは「はしたないこと」とされていました。この時代の時計は、ポケットからこっそり取り出す懐中時計が主。それにとって代わって誕生したのが、働く女達の腕に光る腕時計です。また、夜会のためにジュエリーメーカーがこぞって作ったのがジュエル・ウオッチと呼ばれる宝石付きの宝飾時計です。
この時代のカルティエやヴァンクリーフ・アンド・アーペルズのメカはジャガー・ルクルト、また、ティファニーのメカはモマド。今では、垂涎ものの高級ブランドのコラボレーションです。

1898年にオープンしたパリ初の国際ホテル、ザ・リッツによって、俄然注目を浴びるようになったヴァンドーム広場。ここには、現在でもパリメイドの高級ジュエリーショップが軒を連ねていますが、当時は、ザ・リッツに宿泊し、ジュエラーで求めた宝飾品をおみやげにするのが海外からパリを訪れる富豪たちの常でした。

昨日も書きましたが、アールデコとひとくちに言っても、そのデザインイメージは多用です。1910年代はダイヤとオニキスに代表される、白X黒のコンビ(1912年、ロシアバレーの花形、ニジンスキーの『牧神の午後』を観たデザイナー、シャルル・ジャコーがカルティエのためにデザインした初代パンテールなどが有名)、20年代はインドのマハラジャから影響を受けた「ティティ・フルティー(フルーツバスケット)」のような色石の洪水、また、29年のホワイトの万博で流行した、ダイヤ、プラチナ、ロッククリスタルなどの宝飾品といった風に、ここでも流行がありました。そのどれもが、リッチでファンタジック、そしてスタイリッシュなのが特徴です。

そんなわけで、わたしが大好きなアンティークのジュエリーもアールデコデザインのものが多いです。
そして、レンピッカも当時のジュエリーを愛したひとりです。

このあたりのお話しは、4/26 19時半〜文化村ミュージアム内で読売新聞の会員「ヨリモ」さんのためお話する予定です。




東洋的なジャコーのデッザン。
エメラルドとラピスラズリ、もしくはサファイヤで作る。



それとは別に、プティ・セナクルでは4/4、「アールデコ時代の画家たち」の食事を味わい学ぶグルメレクチャー、4/11は「栄華のときを永遠に〜レンピッカと肖像写真」のレクチャーを用意しています。

まだまだ話しがつきないアールデコを皆さんで楽しみましょう。

なお、4日の特別メニューは以上の通り。普段の「ブノワ」以上に、「リッチ」な食材を用いた贅沢なフランス料理フルコースを用意していただきます。シャンパンと御一緒に楽しんで下さい!

<前菜>パテ・アンクルート ブノワ (パリ)? 1912年にオープンのパリの老舗ビストロ「ブノワ」の定番メニュー。古典の味を堪能できる。

<魚料理>ホウボウのポワレ ウイキョウ スープ・ド・ポワソンをベースに作った(ブ イヤベースのような)香ばしいソース (コート・ダジュール)?南仏といえばブイヤベース。太陽を思わせるオレンジのソースとパンチの効いたサフ ランの味をお楽しみください!

<肉料理>牛ランプステーキ胡椒風味 ジャガイモのフリット?これが無くては始まらない。フランス人の大好きなステーキ・フリット。ランプは、高級な牛フィレ肉のなかでも分量が少なく、最も軟らかくておいしいパーツです。本場の味で、パリにトリップ!

<デザート>レンピッカの作品をイメージした、綺麗色のヌガーグラッセ。グリーンのピスタチオのアイスクリームとオレンジのパッションフルーツの ソルベでヌガーグラッセを挟みます。

また、食後のコーヒーは、ベルエポックのプルーストも愛したマドレーヌと一緒に供されます。

パリ「ブノワ」とモナコの三ツ星レストラン「ルイ・キャンズ」を食で旅するイメージ。乞うご期待です!


パリ「ブノワ」http://www.benoit-paris.com/

モナコ「ルイ・キャンズ」http://www.alain-ducasse.com/public_us/louis_xv/fr_cuisine.htm






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パリ、モンパルナス、アールデコ時代の画家たち vol.5

 
アール・デコ時代の芸術家は、マルチな才能に長けた人が多いようにおもいます。
ピカソは、絵画だけでなくカンヌ近郊のヴァロリス窯で数々の陶芸作品を創作し今に残していますし、ロシアバレーの舞台の緞帳もすばらしく、長年、芸術家発掘に命をかけていたディアギレフを驚嘆させました。

また、舞台装飾も手掛けた建築家、マレ・ステヴァンス率いるUAM(union art moderne)は、昨日書いた、ピュイフォルカはもちろん、ポスター画家のカサンドル、ル・コルビジエ、他、多才なアーティストばかりが名を連ねています。

マレ・ステヴァンスは、当時の社交界の花であり、アーティストのパトロンでもあったシャルルとマリー・ロール・ド・ノワイエ公爵夫妻の内装などを務める傍ら、「人間失格」「心の悪魔」といったマルセル・エルビエの映画のセッティングも製作しています。どの内装にも、スタイリッシュなメタルやシャープな直線が多用されているのが特徴です。
1923年のエルビエの「人間失格」には、フェルナン・レジェ(画家)、ラリック(硝子作家)、ジャン・リュス(陶芸家)、レイモン・タンンプリエ(ジュエリーデザイナー)といったそうそうたるメンバーが起用されています!
アールデコのアーティストたちは、当時発達した映画や雑誌といった「メディア」を上手に用いて、自らの作品を世に知らしめました。
このあたりも、アールデコのアーティストのひらめきの良さなのです。

UAMのメンバーに、タマラ・ド・レンピッカの妹が所属していた関係からか、彼女は夫と別れてモンパルナスのメシャン通りに引っ越すことになって、人も招待できる住まい兼アトリエの内装をマレ・ステヴァンスに依頼します。レンピッカの肖像写真の舞台にもなったこのアトリエのまあ、モダンなことといったらありません!
同様に、血の通わない冷淡なまでに冷たい印象を受けるのもたしかです。
このあたりもアールデコ時代のアートの多面性です。
イラスト雑誌「ガゼット・ボントン」のように愛らしく、甘いパステルカラーに溢れた作品もある傍らで、メタル、硝子、石といった硬質で男性的な作品もあるのです。

レンピッカの娘ギゼットの存在は、仲の良い人にも隠されていたというのですから、強く奔放な母には絶対服従の虐げられた娘だったのでしょう。どんなに突き放されても血のつながりは切れないもの。娘が母を慕う想いはつのるばかり。
1929年。クリスマスになってもアメリカから戻らない、飛ぶ鳥を落とす勢いの女流画家の「冷たい家」に残されたレンピッカの母と娘。
孫を不憫に思った祖母は、レンピッカの大事な帽子のコレクションをただただ無言で暖炉にくべたそうです。

そんな耐える娘、ギゼットちゃんの洗礼式の絵や大人と子供の間を行き来する「ピンクの服を着た少女」は、一種独特の魅力に溢れています。
そして、大人になったギゼットちゃんを描いた「緑の服の女」。別名「へそ」ともよばれるかなたを見つめるこの絵の官能的な女性は、生涯強い母のマネージャー的存在だったそうです。
「女王」である母の強さも弱さもすべて受け止める出来た娘、ギゼットちゃん。
こんな背景もしって「レンピッカ展」を観るのも一興です。


森部奈美さんのブログもご覧下さい!
http://ameblo.jp/petitcenacle-nami/



278  rue Vaugirard 75015に現存するマレ・ステヴァンスの建築物。
現在パリに残るのはこの1軒のみ。



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パリ、モンパルナス、アールデコ時代の画家 vol.4

 
1900年のパリ万博の大成功によって、世界中から注目を浴びたパリ。第一次世界大戦によって一端文化、芸術の発展に歯止めがかかったものの、戦後には、再び世界中から「パリ」を求めて人々がやってくるようになりました。そして、彼らはまた起きるやもしれぬ戦争の恐怖に脅かされながらも、「今日を大切に、激しく生きる」ことに躍起になったのです。その当時から、「パリ」という街は、そこで創り出されるものではなく、街自体がブランド化していたといってもいいとおもいます。

植民地からたくさんのエキゾティックな木々や象牙が簡単に輸入されるようになった御陰で、家具の分野ではルールマンといった著名なデザイナーがため息がでるほど美しい家具を作るようになったり。
また、「自分の意志」でものを購入することが許されるようになった働く女性のために、女心をくすぐるすばらしいパッケージングのコスメティックや香水が続々出現したり、この時代のパリメードの品々は、フランス人が誇る18世紀の工芸品を彷彿させる素晴らしいものが溢れています。

そんななかには、当然、食器類もあります。日本ではあまり聞き覚えがないかもしれませんが、1820年からの老舗「ピュイフォルカ」は、今でもパリ、マティニョン通りに居を構える高級シルバーブランドです。すでに父親のルイ・ヴィクトルの時代に、アールヌーヴォーデザインで脚光を浴びていたブランドですが、息子のジャンは伝統を乗り越える「それまでなかったもの」を模索します。そうして、試行錯誤の末に生み出されたのが、ジャン・ピュイフォルカの無駄を削ぎとり、直線を強調したシンプルで美しいラインの銀製品だったのです。彼の製品は、1935年に出航したフランスとアメリカを結ぶ豪華客船「ノルマンディ−」号のでも使用されました。現在でもピュイフォルカのカトラリーシリーズには、フランスの地名がついているのはこの名残のようです。

また、セーブル窯のデザイナー、ジャン・リュスの製品はほとんどが顧客のオーダーによってデザインされた特注です。こちらは数は少ないですが、アンティークマーケットなどで見る機会がルあるかもしれまん。

また、フランス以外では、1922〜28年のグレイズ・ポタリーのスージー・クーパーのエナメル手描きの作品が素敵です。スージーのものは、優しい色合いの主に日常遣いの安価品が多いのですが、数年前ブームになって値段が沸騰したのが昨今は少し落ち着き手が出しやすくなりました。


スージー・クーパーデザイン

いずれにしても、この時代に作られた陶磁器は、セーヴルであっても、リモージュであっても品質、デザインともに優れたものが多いです。
アンティークでもまだまだ見つけられる可能性が高いので、注意してみてください。

日本のアールデコデザインといえば、今、120周年でいろいろなイベントを開催している帝国ホテルの落成がちょうど1923年。残念ながら、フランク・ロイド・ライトのデサインした部屋は現在1室しかないようですが、ノリタケの皿の復刻版はデリカショップ「ガルガンチュア」で購入できます。
本物には、ライトのデザインした柱のレリーフがロゴとして刻まれています。こうした食器類は、リースニングワインを飲むためのアルザス地方のワイングラスを思わせるグリーンのグラスなどと合わせて3/31まで、ロビー横のスペースで開催中の「帝国ホテル120年の歴史展」に展示されているので、銀座で時間があったらよって見て下さい。


幾何学模様のフランク・ロイド・ライトデザインの食器


料理は味、食器、雰囲気、そしてサービスのすべてが調和して100点満点。そうそう、一緒に同席する人と交わされる会話も大事ですね。


ピュイフォルカ
http://www.puiforcat.com/


帝国ホテル120年の歴史展
http://www.imperialhotel.co.jp






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パリ、モンパルナス、アールデコ時代の画家たち vol.3

そおいえば、去年、北海道で観た「パスキン〜エコール・ド・パリのリベルタン(自由人)」は、素敵でしたよ。柔らかな色合、イラストタッチのエッチングも好きです。

ブルガリアの裕福な家庭に生まれたパスキンが、コロンブスが新大陸を発見した年である1492年に、スペインの王女によって敷かれたキリスト教回帰の法令によって国を追われた高貴なユダヤ人、セファルディの末裔であること。
また、16歳で娼婦宿に入り浸り、彼女達をモデルにデッサンを描きはじめパリに流れ着いたという経緯。
故郷ブルガリアをすっぱり切り、放浪したさまざまな国からインスピレーションを得た独自の画法を築き上げたこと。そして、他のアーティスト同様、戦争の予感とともに、アメリカに移住し、ついには国籍を取得し、ついに45歳で自殺したその人生までもが、すべて興味深いものでした。

「エコール・ド・パリ」は、厳密にはどんな画風という風にはくくれないけど、彼らはまさしく二つの戦争の狭間である狂乱の時代、1920年代にモンパルナスに集った画家たちで、自由に激しく生きたアーティストたちです。なかでも、東欧系ユダヤ人のシャガールやザッキン、スーティン、キースリング、スペイン系ユダヤ人のパスキン、そして、フジタやモジリアニなどがその代表とされています。

19世紀までの画家たちが貴族などのパトロンに寄生していたのに対し、20年代の「エコール・ド・パリ」の画家たちはある意味、パリのスターでした。フジタは運転手つきの白いキャデラックに乗ったり、モンマルトルのくら〜いパリを描いていたユトリロまで、この時代にはお金持ちの女性と結婚して、リヨン郊外に城をもっていたり、皆、お金持ちだったことです。そんな彼らが飲んで騒ぎ、どんちゃん騒ぎを繰り返したのが1927年にオープンした、800平米の巨大なブラッスリー「クーポール」なのです。クーポールのオープンには、2500人のパリジャンが招待され、1200本ものシャンパンが開けられたというのは、有名な実話です。
上野万梨子先生の今月の御料理教室の「パリの伝統料理」がたしか、「羊のカレー」でしたが、ここの「羊のカレー」の美味しいことと言ったら!随分食べていませんが、モンパルナス在住中のわたしのお気に入りメニューでした。そして、最近知ったことです、現在はクローズしている地下のダンスホールは、パリのマダムたちが若いツバメを物色する場所としてよく知られていたんですって!今でもときどきオープンして、タンゴのレッスンなんてあるみたいですが、ちょっと興味ありますよね〜?
インテリアもアールデコ好きにはたまらない、典型的な造りです。一見の価値あり。

1920年代にモンパルナスに集ったのは画家だけではありません。
ご存知、バイオリンを象った女性の裸体を撮影したマンレイは、「クーポール」や魚料理で有名な「ドーム」の裏手、ドランブル通りの15番地、今「レノックスホテル」のあった場所にスタジオを構えていましたし、「ジムノペティ」や「グノシェント」で有名なエリック・サティ率いるパリ6人組の音楽家(ミヨー、オーレック、他、ロシアバレーの作曲家たち)たちも、同じ通りにあったカフェ劇場「ボビノ」に集ったとか。海外から渡ってきた「ジャズ」という新たな音楽が演奏されたのも、このモンパルナスのミュージックホールだったそうです。

そして、彼らに多くのインスパイヤを与えたのが、マルチアーティスト、ジャンコクトーでした。
コクトーは、レンピッカとも交遊があって、彼女がお金持ちと結婚することで、ハングリー精神を失い、創作意欲をなくすのではないかと危惧していたようです。クフナー男爵と結婚した後のレンピッカを考えると、あながち、彼の予想ははずれていなかったようですが・・・。

ン〜。それにしても、華麗なる歴史の面々ですよね。20年代のモンパルナスにトリップしたい・・・。

ラ・クーポール
http://www.flobrasseries.com/



上野万梨子先生御料理教室
ギャラリー・リブレ
www.rizble.jp




クーポールの床のモザイク


24名のアーティストが描いた店の柱





ダンディーなコクトーと彼のデッザン





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パリ、モンパルナス、アールデコ時代の画家たち VOL.2

さて、みなさんはパリの画家といえばアトリエ「洗濯船」=「モンマルトル」と反射的に想像しがちですよね。
確かに、それも当たりですが、モンマルトルに画家が集まったのは、19世紀末から20年代のベルエポックの時代。そう、ロートレックがモンマルトルのキャバレーに入り浸って、ダンサーや高級娼婦を描いた時代です。

昔のパリには、ルーヴル宮殿を中心に城壁が廻らされていて、パリ市内に入るのにはその門をくぐるために市税を払わなくてはなりませんでした。ベルポックの時代は、モンマルトルの丘はまだパリ市内に登録されていなかったので住むには税金がかからなかった。それがかかるようになると、貧困なアーティストたちは一斉に引っ越しを強いられるのです。彼らが選んだのが、17世紀に文学青年たちが詩を朗読するために集まった文学の女神、パルナッソスの丘(18世紀に丘は新しい建造物のために削られて平らになった)=モンパルナスです。
パリの北、モンマルトルの丘から下山したアーティストは、それとは真逆のパリの南にたむろするようになり、15区のシテ・ファルギエールには、「蜂の巣」というアトリエができ、「抱擁」(わたしの大好きな作品)で有名なブランクーシを師と仰ぐイタリアから渡ってきたばかりのモジリアニらが居を構えました。
独特の画風で有名なモジリアニも、最初は彫刻を目指していたそうです。建設現場や線路を敷く時の廃材を拾ってきては、彫刻を作りはじめましたが、お金がなくて、一カ所に定住できないことがネックになってやむなく彫刻は諦めたのだそうです。彫刻は重いし、おいそれと移動できませんからね。結果的にはその御陰で誰も真似できない画風を生み出したわけですから、人生なにが功を博すかわかりませんね。

また、19世紀の文学者バルザック様像がそびえるヴァヴァンから放射線上に伸びるグラン・ショーミエール通りには、モジリアニが通った絵画「アカデミー・コラロッシ」やアーティストに無料で食事をさせる心優しいビストロの女主人「シェ・シャルロット」がありました。(ご興味ある方は、モジリアニの一生を描いたジェラール・フィリップ主演、映画「モンパルナスの灯」をご覧ください。若く、美しいアヌーク・エーメの魅力に引き込まれます)
そうして、モンパルナスの名前は口伝えに語られ、海外からアートの街、パリを目指してやってくる芸術家「ボヘミアン」たちが自由とキャンスを求める場所として集まるようになるのです。そうした「ボヘミアン」のなかでももっとも多かったのが、キースリングやスーチン、シャガールといった東欧ロシアのユダヤ人たちでした。

そう、そのなかには、ポーランドからサン・ペテルスブルグへ、そしてロシア革命によって国を追われたタマラ・ド・レンピッカもいたのです!
彼女が最初に入学した画塾が、グラン・ショーミエール通りにあったこと、また、彼女が家族と住みはじめ、夫と別れた後、再び居を構えたのがモンパルナスだったのは、単なる偶然ではなかったわけです。



ブランクーシ「抱擁」



モジリアニ


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