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ラリック展をより楽しむために

産業革命の波が訪れ、万国博覧会の開催によってそれまで見たこともない様々な工芸品が紹介された19世紀後半のヨーロッパは、世界がぐっと身近に感じられるようになったと同時に、あらゆる新素材が機械工業によってたやすく用いられるようになった時代である。
宝飾品の分野では南アフリカで発見されたダイヤモンドがふんだんに用いられるようになり、ロンドン万博のクリスタルパレスを模して鉄骨やガラスを用いたサンルームが次々建てられ、ハイ・ソサエティーたちの新たな趣味、「ガーデニンング」とともに注目された。彼らはボタニカルフェアに足繁く通い、アジアから欧州に渡って入ってきた新種の植物を高額で手に入れ、愛でることをステイタスにしていた。また、万博で紹介された植物をモチーフにした浮世絵や刀のつば、印籠といった「ジャポニズム」のコレクターも多く出現したのがこの時代だ。

ジュエリー作家、ラリックもそんなエキゾティックな植物と「ジャポニズム」に迎合したひとりだった。1860年、マルヌ県のアイで生まれ、パリで育ったラリックは幼少時代のバカンスを、毎年母親の実家であるシャンパーニュ地方で過ごした。
ブドウ畑の連なるシャンパーニュ地方の大自然に抱かれた森、鳥、昆虫が生涯彼の創作活動のイメージソースだったのは、この幼少時代の思い出が大きく影響しているに違いない。植物は、常に彼の大事な創作テーマだった。

マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」のなかでスワンの愛人、オデット・ド・クレシーが好んだ花、蘭。蘭は、絹やサテンをも思わせ、最もフェミニンで「粋」な花だった。菊はもはや喪の花ではなく、「ジャポニズム」のシンボル、天皇家の象徴であり、春の夜更けを表現する芸術家のお気に入りだった。そしてまた、芥子はデカダンスな死の花として、アネモネや西洋サンザシは彼が見慣れたシャンパーニュ地方の田園風景を思い出させる「静けさを表現する花」だった。

16歳で父を亡くした彼は、宝石商ルイ・オウコックの元に住み込みで働きながら、装飾美術学校の夜間クラスでデザインの勉強をした。その後2年間、ロンドンのクリスタルパレスを改築したシデンハム校で学んでいた間は、余暇を大英帝国美術館やヴィクトリア・アルバートミュージアムで過ごし、イギリスの黄金時代を彩る美術芸術品に大いに触発された。
1880年にパリに戻ってからは、パリ市の専門学校で塑像を学び、宝石の雑誌にデッサンを投稿するなど、意欲的に活動を始めた。が、しかし、そんな彼に親族たちは「宝飾デザインなどは何ももたらさない」と繰り返しては失望させたという。

その時代、宝飾デザイナーの地位はまだ確立していなかったのだ。彼らはラリックにデザインよりも経営に関心を持つ方が懸命だと教えたかった。そんな言葉に相反し、彼は‘82年に開業し、その実力で有名宝石商にデザイン画を供給した。ビジネスは、好調な滑り出しをみせた。’84年、すでに有名宝飾店を営んでいたアルフォンス・フーケはルーヴル美術館の工業芸術展に出展された彼のデザインを「初めて本物の宝飾デザイナーと出会った気分だ」と絶賛したという。

ラリックの功績は、ジュエリーをアカデミックなアートに匹敵する芸術の域まで高めた事である。
ラリックは、ルネッサンス時代の名工、ベンヴェヌート・チェッリーニが用いたエナメル彩と彫金、また伝説的な陶工、ベルナール・パッシーが自然界の万物を観察し陶器で蘇らせたその熱心さでジュエリーを制作し、常に新素材の発見に精魂を傾けた。
そうして完成したのが1887年ブシュロンのために北斎漫画の「つばめの飛翔」からインスピレーションを得て、遠近法を用いてデザインしたダイヤモンドとシルバーとゴールドのブローチだ。
アール・ヌーヴォーを代表する硝子作家エミーユ・ガレは一組でもたくさんでも、いかようにも着けこなす事の出来るこのブローチの、「今にも飛び立ちそうな躍動感」に多大なる賛辞を寄せた。

印象派の画家たちがそうであるように、光にこだわったラリックは、光を透かすエナメル技法に飽き足らず、1890年以降、ガラスの可能性を追求し始めた。彼は硝子を用いて植物界や水の流れを背景にとけ込む女性の顔や花になぞられた顔、女性像、ニンフ、シルフィードなどを描くだけでなく、水晶の代わりに硝子を鋳込み手彫りを加えた。硝子の一種無垢な印象は優しさのテーマにも用いられた。そうして完成したのが1900年のブローチ「冬」シリーズだ。
鋳造ガラスとダイヤモンドを模した硝子、そしてエナメルと彫金からできているこの作品は、クレール・フォンテーヌで実際に写真に収めた自然の風景を精巧に写実したものである。ガラスのジュエリーは、大衆にも手の届きやすい「モダン・ジュエリー」として、1911年の装飾美術家のサロンまでラリックの仕事の中心だった。

ラリックの生きた時代はあらゆる意味で女性が注目された時代である。1890年にオペラ座の近くにアトリエを移し、30人の職人を使っていたラリックは、ロダン派の彫刻家でありオーギュスト・ルドリュの娘であるアリスに出会う。彼女は後に彼の2度目の妻になり、最愛の子どもたちスザンヌとマルクの母親になる。ラリックは、立体パネルの彫刻を精巧にジュエリーに置き換えた力強いジュエリーを非常に多く生んだ。これは、ひとえに義父、義兄の協力があってのことである。美しいアリスのプロフィールは、彼の作品に姿を変えた。彼女は亡くなるまで ラリックのミューズで有り続けたのだ。

アリスをはじめ、ラリックは女性のためにジュエリーをデザインし、女性をデザインモチーフにした。その代表作が‘89年、万国博覧会のために制作された「虫と女と黒鳥」のネックレスだ。
9人の金製女性像と半透明エメイユによる背景、二羽の黒鳥、マルキーズカットのダイヤモンド、カボションカットのオパールの3万フランのネックレスはその迫力からか、値段のためか、当初は買い手がつかなかったという。

ダイヤモンドや真珠を主体に18世紀のガーランドスタイル模した白い光を放つ当時流行の夜のジュエリーとは類を違えたこのネックレスは、ラリックの解釈による新たな夜のジュエリーだった。象徴主義の流れを踏まえ、妖気を漂う女性の化身である黒鳥が不吉な夜をイメージさせるオリエントな雰囲気のジュエリー。素材には光を通すアジュール・エナメルとオパール、アメシストが用いられている。カトリックのマリアの色であり、不滅の色、ブルーを愛したラリックは、石の価値よりカラーに重点を置きサファイア、アクアマリン、ムーンストーンを好んで用いた。
特にミステリアスでドラマチックなオパールには執着した。時代の寵児、モンテスキューは「呪いを恩恵に変えることのできる石。言うに言われぬ感情を秘めた石」だと表現している。

ラリックの顧客の一人であったアール・ヌーヴォー時代の女優、サラ・ベルナールは舞台での存在感もさることながら、棺をべッド代わりに用いたり、真夏に毛皮を着てオープンカーでパレードしたりと、スキャンダラスな話題を振りまいた女性だった。ラリックはこの女優のために舞台映えする大ぶりのジュエリーを1894年以来作り続けた。貴族や芸術家とも交流の深かった彼女を介して、ラリック・ジュエリーのコレクターはモンテスキューのいとこであるグリフュル伯爵夫人やロシアやウイーンの貴族やリリアーヌ・ド・プージー他、高級娼婦にまで広がり大ブームを巻き起こした。時代の流れを見据え、常に意欲的で存在感のあるアーティスト、ラリックが生み出すジュエリーは、時代を代表する個性溢れる女性こそが身につけて映えるアートコレクションであった。

自らのジュエリーが流行し、次々にとるに足らない贋作が溢れ出した1912年。妻、アリスの死で傷心のラリックは、コティーが香水にアイデンティティーな付加価値をつけるためにボトル制作を依頼したことをきっかけに宝飾品の制作から手を引く。それは、近代化の波に乗り、鋳型を用いたオリジナリティー溢れた工業生産品を造り始めるラリックの、新たな挑戦をも意味するものだった。 


生誕150年 ルネ・ラリック
華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ
国立新美術館




■ 「ラリック展開催記念講座『ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌めきのガラスへ』」 講師:有川一三
6/24〜9/7まで国立新美術館で開催されるラリック展に際して、出展協力者でもあるアルビオン・アートの有川社長にルネ・ラリック、そしてアール・ヌーヴォー期のジュエリーの魅力についてお話いただきます。
 
■ 5/24(日) 14時半〜16時
■ 会場:ジェオグラフィカ 3階レクチャールーム
■ 受講料:4000円(ただしジュエリークラス受講者は500円引き)



■ お申込み・お問い合わせ

プティ・セナクル
http://www.antiqueeducation.com









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万葉集に 「伊勢の海の あまの島津が あはび玉 とりての後も 恋のしげけむ」 とあるそうですが、この時代、真珠は「あこや」「しらたま」「鰒玉(あわびたま)」呼ばれ、美の象徴とされていたようです。 Blog
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